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デザインに哲学は必要か part2





前回の記事では、「デザインに哲学は必要か」にある一章、「自由を設計するデザイン」という章を元に文章を共有させていただきました。


内容としては、産業革命をはじめとし時代とともに変わり続けるデザインを、順を追い「デザイン 一・〇」「デザイン 二・〇」「デザイン 三・〇」と分類しながらこれからの「デザインの在り方」を考える、といったものになっています。


今回は、本題でもある「現代におけるデザインの在り方」にファーカスを当てて文章を書かせていただきたいと思います。

それではさっそく、、、。



汝自身を知れ



この章では問いを発するデザインの在り方を「デザイン 三・〇」とされています。


工業化のデザイン(デザイン 一・〇)システム化のデザイン(デザイン 二・〇)などのシステムに包摂されて機能し続ける人間が、システムに収まりきらず、内部から発するのが「人間とは?」「これが人間か?」「本当にこれでいいのか?」などといった一連の問いであり、 デザインが人間のために存在する技術であるとするならば、その技術を要求する人間に対し「本当にそれで良いのか」と同時に問いかける技術でなくてはならない。 とこの章には記されてあります。


古代ギリシャの都市国家の神殿には、「開戦をすべきか」「子供を産むべきか」などといった様々な問いを抱えて多くの人々が訪れ、そこで神殿が最初に与える回答は「汝自身を知れ」という言葉であったと言います。


戦争によって何を求めているのかが不明であれば戦争をすべきかどうかはわからないし、子供を産むことで自身が何を求めているのかが不明であれば 子供を産むべきかという問いには答えられない。

「何をすべきか」を考える前に、「何を目的とするのか」を考える必要があり、 さらに「その目的とすることは本当に自身にとっての幸せであるのか?」ということを考えることができなければ、自身にとって最善の選択をすることはできないのではないかと考えます。


工業化、システム化のデザインに置いて問われ続けていた問いとは、自身の幸せのために世界や自然をにいかにコントロールすれば良いのか、そのためにはどのような手段をとれば良いのか、というような、あくまで目的を達成するための方法や手段としての問いであり、それは「技術的な問い」でしかありません。



問いとしてのデザイン



では、問いとしてのデザイン(デザイン 三・〇)で言われる「問い」とは一体どのような問いなのでしょうか。

それは上にも記したように、達成しようとしている目的が本当に目的とすべきことなのか?ということを問いかけることなのではないかと考えます。


技術は自然や人間を制御すると同時に、その制御しようとする人間自身を、その主体としての在り方から自由にする。 いかに効率的に戦争を勝利に導くかを考えることが軍事的な技術であるとすれば、デザインは、戦争を準備しようとする人間に対して「本当にそれでよいのか」と問いかけ、戦争から人間を解放する技術である。


とこの章には記されています。


このデザイン 三・〇の次元においては、目的に対して確実にかつ効果的にことが進んでいるのか、もしくは実現しえているのかを検証するという実証主義的な論理は通用しません。 そこで重要となってくるのが、かつて実証主義が否定した「思弁-speculation-」である、と言います。


哲学者のイマヌエル・カントによれば、「思弁とは、経験の限界を超えてなされる思いめぐらしのことである。」とされています。 つまりは、その思弁についての真偽は経験によって確証されるものではないということです。

例えば、「死後の世界は存在するのか?」という思考は、それを確認するための経験が原理的に不可能な領域にはじめからある時点で、そのような思考は必然的に「思弁」となります。

このような確実に実証することのできない領域に対しての問いを持ち、思弁すること自体が、デザイン 三・〇の次元においては重要であり、 「明確な答えの存在しない問い」の中で答えを見つけようとする行為によって、経験可能な現実世界への対応の仕方が変わってくるのだと言います。




話が少しややこしくなってきたので、シンプルにデザインに置き換えて考えてみたいと思います。 僕が今回この章を読んでデザインをどう考えたのかというと、単純に「その人自身にとっての幸せを形にすることができるデザイン」こそが僕自身目指しているデザインなのではないかと思いました。


カフェを開こうとする人に対して、どのようなカフェを提案するのかではなく、「なぜカフェを開こうとするのか」を汲み取れるデザイナーになりたい。 なぜその人はカフェを開こうとしているのか、カフェを開くことで何を得ようとしているのか。その人が求める幸せとは、本当にカフェを開くことで成り立つことなのか。 その人が求める幸せを具現化したときに、そこにはカフェではなく、これまでにないお店や空間が生まれているかも知れない。 その人自身がもしかしたら見落としているかもしれない何かをすくい上げることのできる、そしてそれらを具現化することのできるデザイナーになりたい。


だからこそ店作りにおいての上流部分ともいえる、マーケティングやブランディングに関し

てもしっかりと知識をつけていきたいと思います。



ということで、二回に渡って「デザインに哲学は必要か。」という本を元に考えたことを共有させていただきました。 最後は僕の目標宣言みたいになってしまいましたが、、、笑

今回この文章を書くにあたって特に感じたことがあるのですが、デザインや哲学について考えることはデザイナーに限らず、とても価値のあることのように感じました。 考え方を知れば、ものの見え方や人との付き合い方も大きく変わってくるように感じています。もちろんデザインや哲学に限らず、「何かを知る」ことは、何気ない毎日に劇的な変化をもたらしてくれるものであるようにも感じています。


僕自身まだまだ学生で、社会の厳しさとやらを理解していない部分も多々あるのかとは思いますが、どんな状況でも「何かを知る」「興味を持つ」ことは忘れずに暮らしていきたいと思っています、、、。



それでは、本日も長くなってしまいましたが、最後までお付き合いありがとうございました!




参考:デザインに哲学は必要か 著者:古賀徹




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